2015年6月9日火曜日

戦争の事なんて話してないで、コミュ力を持った国を目指そうぜ。

僕はアメリカが好きだよ。
でも、戦争をするアメリカは好きになれない。
僕は中東の国々が好きだよ。
でも、戦争をする国は好きになれない。

どうして僕がそう思うか。
それは、どちらの正しさにも所属していないからだ。

彼があなたを憎んでも、僕があなたを憎んだりはしない。
あなたが彼を憎んでも、僕が彼を憎んだりしない。
憎しみの連鎖は、第三者の介入によって決して終わる事のない憎しみへと繋がっていく。

彼が憎むあなたを、僕も憎む。
あなたが憎む彼をまた、僕も憎む。
憎んだ相手からは相応の憎しみが向けられる。

正しさを語るより、人としてどうありたいかではないのかな。
憎しみを持ち続けるのはとても辛い事だと、僕は思う。

憎しみを持った相手と同じ様に憎しみに身を投じ、それは正しい美辞麗句を喧伝しながら殺し合う。
憎しみの恐ろしさは、問題の本質を眩まし、感情の外壁で応酬が始まる事だ。
そして、憎しみは憎しみのまま残り、たとえ争いの種が解決した後も、主人を探して彷徨う。

それがどんなに愚かな事だと、頭で解っているだけではダメだと、本当は解っているんじゃないのかな。
理屈のみの理解は、その時々の正しい屁理屈で正当化される。

憎しみを持たない者だからこそ、できる事があるんじゃないのかな。
同じ様に憎しみを持つんじゃなく、それを止める事ができるのは、当事者じゃない第三者なんじゃないのか。
僕は憎しみの連鎖に加わるより、それを止める者として生きたい。

戦いに加わる時、それがどういう事かもう一度考えて欲しい。
一対一の喧嘩ではない。
あなたと同じように、彼らにも生活がある。

僕は個別的な衝突に加わるか否かより、争いそのものを解決できる国になってもらいたい。
アイツもあぁ言ってるしさ、まぁしょうがないべ。
アイツのいる前じゃ喧嘩できねぇよ。
そんなアイツになってもらいたい。

そのポジションってさ、世界的に見ても凄い事だって思わない。
銃を持って黙らせるなんて、それこそテロリストにでもできるんだよ?
正しさって、いったい何の事を言っているんだい。
「この道しかない」のは出来れば総理だけでお願いします。
このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿

最新の記事